代表者ごあいさつ

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皆様こんにちは!日本音楽振興会・代表の蘭一二三です。
私は20歳の時にピアニストとして働き始めましたが、その半年後に自分で初めて買ったピアノを調律して頂いた方に「あなたは素晴らしい職業を選ばれましたね!」と言われました。何故か?と尋ねると「人間は音楽なしでは生きていけないんですよ」と言われ、それまで気付かなかった音楽の素晴らしさを再認識いたしました。2001年に大好きな音楽を通して社会に貢献できればと考え日本音楽振興会を創立いたしました。これからも全国のカラオケ愛好者の方々に喜んで頂けるようにスタッフ共々、頑張っていく所存でありますので何卒よろしくお願い申し上げます。

   らん ひ  ふ み                                                                 
   
蘭一二三・プロフィール   公益社団法人 日本作曲家協会・理事   

1954年5月31日生まれ。滋賀県出身。     

「笑って許して/和田アキ子」で日本レコード大賞編曲賞を受賞し、「襟裳岬」や「北酒場」等レコード大賞受賞曲の編曲者である馬飼野俊一氏に師事し作曲と編曲を学ぶ。またジャズピアノとジャズ理論を信田かずお氏に学ぶ。20歳よりピアニストとして生計を立て夜は都内のナイトクラブでピアニストとして働き、昼は馬飼野俊一先生につきレコーディングの手伝いなどをしながら音楽を学ぶ。24歳の時、テレビ朝日の幼児番組「とびだせパンポロリン」のエンディング曲「宇宙ロック№1」の編曲を手がける。
作曲家としては32歳の時に「泣いて片想い/歌・松本今日子」でデビュー。「映画音楽」や「ポールモーリアの曲」等をピアノやエレクトーン用に編曲して国際楽譜出版より約400曲出版する。月刊歌謡曲誌上で1980年代後半より10年近く「作曲、編曲講座」を担当。
1989年牧村三枝子さんのアルバムにも作曲にて参加し、そのアルバム「職人さん」が日本レコード大賞アルバム企画賞を受賞。六年後には、金田たつえさんの「風の追分みなと町」がコロンビアレコードより発売されヒットする。2003年の「うたとくコンサート」では自作のジャズ「レディー・カレン」を指揮。
2010年には世界最年少バンド・マッシュポテト(当時メンバー全員8歳)が歌った「レッドモンロー」と「ククサンバ」を作詞、作曲してリリース。2011年、社団法人・日本作曲家協会の理事に就任し現在に至る。

      《主な作品》  

風の追分みなと町・おんなの倖せ「金田たつえ」
お母さん「高畠佑布子」
お父さん「長谷川みゆき」
さよならのルージュ「村上由子」
北陸本線「和田青児」
こころ揺れて「石上久美子」
女のこころ「桂 竜二」
東京LOVE「黒幕&愛人」(内村光良&藤崎奈々子)
王様ゲーム「安岡力也&木の葉のこ」

天童よしみ、三笠優子、牧村三枝子、岡ゆう子、滝里美、西方裕之、西村亜希子にも作品提供。

 

                 【恩師、馬飼野俊一先生との出会い】

私は10代の頃に家出をし東京に来ました。何の当てもなく、どのような仕事をしたいとか、将来何になりたいとか考えた事もなく、東京に行けば何とかなるだろう思いポケットに2万円を入れて新幹線に乗りました。東京に着き泊まる所もなく、新宿の西口公園で3日間ほど寝ました。朝目が覚めると、夏でしたので蚊に何十ケ所も刺され別人のような顔になっていました。その公園で知り合った丹羽さんという男性と仲良くなり話しを聞くと「俺は1カ月前まで港区白金台の中華料理店で料理人として働いていたが料理人が嫌になり辞めて、他の仕事を探しているんだけど良い仕事がなく、またその店に連絡をして働かせてもらおうかと思っているんだ」との事でした。そして私に「忙しい店だからお前もその店でアルバイトをしてみないか?」と言われ、ポケットの残金が数千円になった私には願ってもない話です。翌日には、白金台のその店で雑用係りとして働きだしました。

ある日、アルバイトの休憩時間に「レモン」というスナックにアイスコーヒーを飲みに行った所、そこで私の人生をかえる馬飼野俊一先生と出会いがあったのです。馬飼野先生は和田アキ子さんの「笑って許して」でレコード大賞編曲賞を受賞しましたが、その受賞式を偶然、田舎のテレビで見ていた私は「あの作曲家の先生だ~!」と思い何とか音楽を教えてもらう事ができないかな~と考えておりました。

その次に「レモン」でお会いした時に挨拶をすると「今度遊びにおいでよ」と言って下さいました。当時先生は毎月100曲以上の編曲の依頼がある超売れっ子で睡眠時間は3、4時間というハードな生活をされているにも関らず、連絡をすると私の為に時間を割いて音楽の話はもちろんの事、食事までご馳走して下さり、その15年後には「蘭一二三」というペンネームもつけて頂きました。

私と馬飼野先生が出会った「レモン」には「てんとう虫のサンバ/チェリッシュ」や「傷だらけのローラ/西城秀樹」の作詞家の「さいとう大三」さんも来ていらっしゃいました。作詞家としてはまだデビュー前で、さいとう大三さんの友人がレモンでアルバイトをしていて、その友人に馬飼野先生を紹介してもらい詞を見てもらっていたようです。さいとう大三さんが理事を務める日本作詩家協会のホームページ「作詞家への道」で馬飼野先生を「ほんとうに優しい先生」と紹介してらっしゃいますが、馬飼野先生は私にも、また他の方にもとても心優しい方でありました。(過去形ではなく現在も優しい先生であります・笑笑)
先生に出逢わなければ私・蘭一二三は存在せず、また日本音楽振興会もなかったでしょう。またピアニストや作曲家にもなっていませんでした。今はお互い忙しく年に数回しかお会いできませんが、私が世界で一番尊敬する作曲家であり恩人であります。

 

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